比較的暖かく感じる1日でしたが、着込んで十分な寒さでした。ただ一人、カメラマさんは暑いと汗をかいていました。
とても素敵な写真がいっぱい撮れました。
比較的暖かく感じる1日でしたが、着込んで十分な寒さでした。ただ一人、カメラマさんは暑いと汗をかいていました。
とても素敵な写真がいっぱい撮れました。
何百年も続く行事だそうです。御厨神社の宮司さんと神社総代さんの御配慮で旧小津清左衛門家にも寄って戴きました。
7日の早朝7時から御厨神社の境内では「しめ縄焼き」を行います。
旧長谷川治郎兵衛家の玄関の注連縄です。松阪〆の物です。
白色と黄色の餅花はここに使いました。御竈(おくど)さんに飾りました。
旧小津清左衛門家の玄関の上に飾りました。これも松阪〆の注連縄(しめなわ)です。
原田二郎旧宅の玄関の上の注連縄です。本年もどうぞよろしくお願いします。
松は、常緑樹で「永遠の命」の象徴であったり、不老長寿に結びつけられたりします。「神をまつ」とも言い、神が寄る神聖な木としても考えられています。
紅白のお餅では、ありません。白と黄色です。
商家ですので、小判の色を象徴していると勝手に思っています。旧長谷川治郎兵衛家の庭園のクチナシの実を使って色を染めています。
このお寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建されたと言います。また、日本最初の厄除観音の霊場でした。非公開の室町時代の普賢延命菩薩像や曽我蕭白筆 雪山童子図(そがしょうはく せっせんどうじず)をガラス越しでなく目の前で見ることができたり、伊勢寂照寺の住職の月僊の作品を堪能したりしました。 地蔵堂には、2011年の東日本大震災の岩手県陸前高田市の松で造られた慰霊と復興祈願のお地蔵さまが安置されています。東京藝術大学名誉教授の藪内佐斗司氏が高田の町とご縁のあった日本各地に奉納し続けている一体が松阪にもありました。
籔内氏によると「いつどこで大震災が起きても不思議でない地震列島に住む私たちは、大震災に対する備えとともに、万が一地震が発生しても、日本中が一致団結して、強く前向きに克服していく心構えが必要であることを、高田の松が姿を変えたお地蔵さまが教えてくれることを願っています。」とのことです。
旧長谷川家の庭園の水面に映えました。日本語や英語、マレー語が話せるそうです。
大正座敷で抹茶を飲んでもらいました。
衣装替えをして、再度撮影をしました。この後、重要文化財の御城番屋敷 や櫛田川へ行かれるそうです。