東京の原田積善会のみなさまと来迎寺のご住職のみなさまによって厳かに執り行われました。松阪歴史文化舎も参加させていただきました。
今回は、二郎翁のご母堂の実家である松阪市飯高の佐々木源氏の流れを汲む田中家も訪問しました。身分を隠すため田中彦左衛門を名乗り、歴代農業を営む傍ら、植林、酒造業に関わり、江戸時代には和歌山街道、波瀬宿の脇本陣を務めたお家です。
(「松阪歴史文化舎」のホームページは、こちらです。) https://matsusaka-rekibun.com/
東京の原田積善会のみなさまと来迎寺のご住職のみなさまによって厳かに執り行われました。松阪歴史文化舎も参加させていただきました。
今回は、二郎翁のご母堂の実家である松阪市飯高の佐々木源氏の流れを汲む田中家も訪問しました。身分を隠すため田中彦左衛門を名乗り、歴代農業を営む傍ら、植林、酒造業に関わり、江戸時代には和歌山街道、波瀬宿の脇本陣を務めたお家です。
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今回は、とても斬新な作品が多くありました。生徒さんに実業家でもあり、財団法人原田積善会を設立し慈善事業に専心した原田二郎翁に関心をもってもらいたいという思いもあります。
毎日、松阪駅を使う工業高校の生徒さんは、この旧宅の前を通ります。
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ご近所の方が、「いつも前を通るのですが番組を見てきました。」と入館してもらいました。また、群馬県の御夫婦の方が車で「番組を見て寄りました。」とのことでした。次の方は、奥様が日本橋三越で勤められていて「退職の記念に伊勢神宮によって番組をみて、ぜひ松阪に寄りたいと来ました。」とおしゃってもらいました。昨年に比べ、とてもたくさんの人に入館をしてもらっています。
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ガデンツーリズム(庭園観光)を通して本来のお伊勢参りを復活することです。2033年の第63回式年遷宮に向け街道周辺の食や歴史、伝統、文化、産業、花の名所等を組み合わせた周遊・滞在型のガデンツーリズムを推進します。
7つの庭園(①六華苑②横山氏庭園③伊奈冨神社庭園④真宗高田派本山専修寺雲幽園⑤北畠氏館跡庭園⑥旧長谷川治郎兵衛家⑦玄甲舎)は、伊勢神宮へと続く街道沿いに存在します。6月18日(水)に「伊勢國お庭街道誕生セミナー」を「三重テラス」東京日本橋2階で在京メディアや旅行業界関係者、一般の方対象で行います。造園家(東京都市大学特別教授) 涌井史郎氏の記念講演会があります。
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とてもお行儀よく、自分のくつをしっかりそろえてくれました。社会でのマナーを集団行動を通じてよく学んでいるように思いました。
聞いたお話をしっかりメモをとっている姿が印象的でした。春の新緑の中、楽しい1日になることを祈念します。
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演目は、「時うどん」と相撲ネタの「花筏(はないかだ)」と「禁酒関所」奉公に行った子どもが3年ぶりに帰ってくる「籔(やぶ)入り」でした 。合間には踊りも披露していただきました。
たくさんの方に生の落語を堪能してもらいました。毎年、この時期にお願いする予定です。
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創業450周年の柳屋奉善さんも新商品を実演してみえました。旧長谷川治郎兵衛家で採れた綿の種を松阪市の職員さんがいるとき350袋(約3500個)を配布してもらいました。
長谷川治郎兵衛家や小津清左衛門家のお店のあった大伝馬町(日本橋)の隣の通油町(日本橋)に蔦屋重三郎の耕書堂がありました。蔦重は34歳から店を構えました。
その跡には、中央区教育委員会の看板が立っていました。もしかすると、それぞれの主人やそこで働いていた人たちは店の前を通り、尚且つ互いのお店を利用していたのかもしれません。
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