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2021年1月10日日曜日

1月9日 城下町「松坂」発見講座(北エリア)を持ちました。
産業振興センター(松阪もめんセンターが入ってる建物)の前が、集合場所でした。旧長谷川治郎兵衛家のある魚町から出発です。

魚町は、本居宣長旧宅跡や小泉県庵旧宅に宇田荻村生家跡があります。「化蝶碑(かちょうひ)」は、下里千穎(ちかい)の歌碑です。「露の身の きえても残る わが魂は 花に飛かふ 胡蝶なりけり」幕末勤王の志士と交わり、明治初年神社総取締役をしています。

百足町や八重垣神社(毘沙門寺)跡や小津新兵衛家(小津久足・小津次郎・小津安二郎)の説明の後、河原町、西町、本町の大橋や高札場、旧小津清左衛門家と本居宣長の生家跡を回り、三井家発祥地へと足を運びました。お天気はよかったのですが、川沿いの強風の中のコースでした。 大手町から長谷川武右衛門家跡(長谷川家分家の南家:亀屋)、城坊小路や密蔵院跡を巡りました。みなさんと歩いているので強風でも興味をもって歩けました。

矢下小路の正円寺、紺屋町、長谷川六郎次家跡(西家:戎屋)、博労町から御厨神社の中にある松阪三井家の屋敷神であった三囲(みめぐり)神社をお参りしました。芭蕉十哲の一人宝井其角の碑を見て、湯屋町、工屋町をへて岡寺山継承寺前と足を運びました。

岡寺山は、真言宗古刹。天正末(1590年)石津村から移転し慶長18年(1613)松坂城主古田重治の母が本堂を寄進したと言われています。

韓天寿宅跡や松本駄堂宅跡、職人町、藤田適斎宅跡、旧小津清左衛門家の菩提寺養泉寺、長谷川治郎兵衛家等の寄進の清光寺、殿村常久の墓、土居光華の墓、本居宣長の歌碑、殿村琴魚の墓、日野町、本陣脇本陣、伝馬所跡、中町、肘折橋(ひじりばし)を歩きました。「伊勢の松坂いつ着て見ても、ヒダ(飛騨の守:蒲生氏郷のこと)の取様でマチ(町)悪し」の松坂の町の起点はこの橋とのことです。伊勢神宮にむかう参宮街道にかかる橋でした。今は暗渠になっています。 1時間40分の町歩きを門理事長と福田理事のもと無事に行うことができました。
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年1月9日土曜日

1月9日 松阪伝統文化華道子ども教室の令和3年の「初生け」がありました。
華道教室は、旧長谷川治郎兵衛家の離れ座敷で行っています。指導は、二井先生にお世話になっています。

梅と松を中心にスットクなどの明る花の組み合わせです。

1週間展示をします。翌週は30人の残り半分の15人の展示をします。
 
 
 
 
 
 
 
 
1月9日 令和3年の初めての松阪伝統文化茶道子ども教室がありました。
旧小津清左衛門家の向かい座敷を使ってもらっています。指導は松阪市茶道協会さんにお世話になっています。

コロナ禍の時期ですので、充分な配慮をしながら実施しています。

伝統的な建物と裏千家を支えてきた小津家の歴史の中で学ぶことの意味を次の世代が引き継いでいってもらえれば幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
1月9日 原田二郎旧宅の紅梅が咲き始めました。
松阪でも寒波が来て寒くなりましたが、なんと梅の花の咲いているのを確認することができました。

日当たりが良く、周りが槙垣に囲まれているからでしょうか。

今は青空にちらほら見えるだけですが、これから満開になるのを楽しみにしています。
 
 
 
 
 
 
 
 
1月3日から、前売り券の販売を開始しました。
旧長谷川治郎兵衛家と旧小津清左衛門家の前売り券の制度を作りました。どちらも旧長谷川家の方で取り扱います。プレゼントにも使えます。20枚以上で団体割引もできます。使いやすいものになりました。旧長谷川家は、団体割引だと250円。旧小津家は、120円になります。ご活用ください。
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年1月1日金曜日

1月1日 明けましておめでとうございます。
松阪の初日の出は、7時01分でした。雲があった分少し時間が遅く感じました。太陽の光が海を渡り一直線で向かってきます。

伊勢湾の向こうに鳥羽と伊勢の山が見えます。今年はコロナ禍が収束し、良い年になることを祈ります。

旧長谷川治郎兵衛家は、松阪の注連縄(しめなわ)に「蘇民将来子孫家門」と書いた木札を飾ります。

旧小津清左衛門家では、伊勢の注連縄で「蘇民将来子孫家門」の木札を飾っています。

原田二郎旧宅では、特に注連縄は飾りませんが1月1日を無事終えようしています。この1年が良き年であることと皆様のご多幸をお祈りいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 

2020年12月31日木曜日

12月31日 全国的に雪が降りました。
比較的温暖な伊勢の国 松阪の平野部でも雪でした。旧長谷川治郎兵衛家では、屋根に残っています。

年内に雪は、珍しい土地です。幼い子どもの喜ぶ声が聞こえました。気温の上昇とともにお昼ごろには溶けていきました。

旧小津清左衛門家の卯建(ウダツ)のある屋根にも雪がありました。

道路はすっかり溶けて、屋根に雪を残すばかり。

原田二郎旧宅の様子です。太陽があたる東側の雪はわずがでした。

反対側の屋根は、こんなにも雪が残っていました。