魚町は、本居宣長旧宅跡や小泉県庵旧宅に宇田荻村生家跡があります。「化蝶碑(かちょうひ)」は、下里千穎(ちかい)の歌碑です。「露の身の きえても残る わが魂は 花に飛かふ 胡蝶なりけり」幕末勤王の志士と交わり、明治初年神社総取締役をしています。
百足町や八重垣神社(毘沙門寺)跡や小津新兵衛家(小津久足・小津次郎・小津安二郎)の説明の後、河原町、西町、本町の大橋や高札場、旧小津清左衛門家と本居宣長の生家跡を回り、三井家発祥地へと足を運びました。お天気はよかったのですが、川沿いの強風の中のコースでした。 大手町から長谷川武右衛門家跡(長谷川家分家の南家:亀屋)、城坊小路や密蔵院跡を巡りました。みなさんと歩いているので強風でも興味をもって歩けました。
矢下小路の正円寺、紺屋町、長谷川六郎次家跡(西家:戎屋)、博労町から御厨神社の中にある松阪三井家の屋敷神であった三囲(みめぐり)神社をお参りしました。芭蕉十哲の一人宝井其角の碑を見て、湯屋町、工屋町をへて岡寺山継承寺前と足を運びました。
岡寺山は、真言宗古刹。天正末(1590年)石津村から移転し慶長18年(1613)松坂城主古田重治の母が本堂を寄進したと言われています。
韓天寿宅跡や松本駄堂宅跡、職人町、藤田適斎宅跡、旧小津清左衛門家の菩提寺養泉寺、長谷川治郎兵衛家等の寄進の清光寺、殿村常久の墓、土居光華の墓、本居宣長の歌碑、殿村琴魚の墓、日野町、本陣脇本陣、伝馬所跡、中町、肘折橋(ひじりばし)を歩きました。「伊勢の松坂いつ着て見ても、ヒダ(飛騨の守:蒲生氏郷のこと)の取様でマチ(町)悪し」の松坂の町の起点はこの橋とのことです。伊勢神宮にむかう参宮街道にかかる橋でした。今は暗渠になっています。 1時間40分の町歩きを門理事長と福田理事のもと無事に行うことができました。