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2022年1月24日月曜日

1月24日 全員参加の避難訓練をしました。
今回は、緊急用の受話器を使用するという目的もその一つでした。火災の現場から連絡を正確に受け、スタッフに伝え、お客様の誘導に結びつけるという訓練です。

綿密な計画の下(もと)、きびきびと行動をしてもらいました。松阪ケーブルTVと中日新聞社の取材もあり、より緊張感をもって真剣に取り組みました。

また、地元の魚町の自治会の役員さんお二人に参加をしていただき、今後地域とともに取り組める方法の検討に入りました。

今回は、コロナ感染の時期につき消防署の放水訓練と消火器の実演は中止となり、屋外でありながらデスタンスをとり、時間の短縮に心がけました。
 
 
 
(松阪歴史文化舎のホームページは、こちらです。) https://matsusaka-rekibun.com/
 
 
 
 
 
 
 

2022年1月23日日曜日

1月23日 明日の避難訓練のための練習をしました。
24日は、旧長谷川治郎兵衛家の庭園の稲荷社から出火を想定して避難訓練をします。休みの日ですが、全員参加で実施します。ただ、このような時期ですので研修会は中止にし、外でコロナ対策をしっかりやって行います。

緊急用の電話の差し込み口がこの所にあります。何人かは知っていますが、まだ初めてのスタッフが練習をしました。

電話を差し込むと緊急用のブザーが事務所でなります。事務所で受け手の受話器を差し込むと音は止まり会話ができます。

あってはならないのですが、備えは必要です。何度でも練習をして本番に備えます。いざという時に行動できるように再度確認をしました。
 
 
 
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2022年1月21日金曜日

1月21日 原田二郎旧宅の工事が完成しました。
三和土(たたき)風の小道が傷んでいたので修理をしました。反対側と統一をとって繰り石を並べた間に小石を置いてもらいました。

違う方向から見ると綺麗に仕上げてもらったのがよくわかります。

この仕上がりが早くなじむことを望んでいます。
 
 
 
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2022年1月20日木曜日

1月20日 旧小津清左衛門家で取材がありました。
今、旧小津家では「松坂ゆかりの文人たち」の冬季企画展をやっています。

俳人 大淀三千風、歌人 高畠式部、書道家 荒木是水、探検家 松浦武四郎、幕府の医官 野呂元丈、本草学者 丹羽正伯・植村政勝、国学者 長野主膳など多くを展示してます。

行政チャンネルの取材です。ケーブルテレビのニュースで放映されます。
   
 
 
 
 
 
1月20日 旧長谷川治郎兵衛家の剪定は、こんなところもやってもらいました。
バスの駐車場側から撮った写真ですが、木の上の方で作業をしてもらっています。

足の竦(すく)む高さです。

その上に風が吹いていて凍(こご)える寒さです。だんだん綺麗になっていきます。みなさんの努力で維持がされています。
 
 
 
 
 
 
 
1月20日 原田二郎旧宅の工事の様子です。
工事が済んでしまうとこのような状態は見られなくなってしまいます。

小道の周りにぐり石を置いてコンクリートで固めていきます。

反対側から見るとこんな様子です。

一つ一つ手作業で工事が進んでいきます。後、一日かかるそうです。
 
 
 
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2022年1月19日水曜日

1月19日 原田二郎旧宅の庭の通路の補修が始まりました。
裏口から庭に続く通路の三和土(たたき)風の小道が風雨で荒れていました。やっと直せる目途がつき、工事に入りました。

以前のものの厚さだけを取り除きます。機械を使えない文化財指定のところなので慎重に進めてもらいました。

手作業で厚さ10㎝ほどの固まった三和土風の土を取り除く作業に入ってもらいました。
 
 
 
 
 
 
 
1月19日 旧長谷川治郎兵衛家の池のカモ(鴨)たちです。
愛らしい姿が見られます。気温は低いのですが、石の上で日向ぼっこのようにも見えます。

冷たい水のはずですが、元気に泳ぐ姿も見られます。
 
 
 
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1月18日 旧長谷川治郎兵衛家の松の剪定が始まりました。
池の中島の松の剪定は大変です。はしごを使いますが、水の中に入って仕事をしないといけないこともあるようです。

また、中の島の高い松もまわりが水に囲まれてはしごをしっかり固定して作業をしてもらっていました。

4人の方に作業をしてもらい綺麗になっていきました。
 
 
 
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2022年1月12日水曜日

1月12日 旧小津清左衛門家の「松坂ゆかりの文人たち」の展示が今日から始まりました。
冬季企画展で、4月3日までです。戦国武将蒲生氏郷は、参宮街道を引き込み、楽市楽座を布告し商人を集める政策をとりました。お伊勢参りの盛況と相まって江戸や京都、大坂の情報や人が行き来しました。紀州藩領であったことや伊勢商人の豊かさも加わり、多くの文化人が訪れ、多くの文人を輩出することになりました。

国学者 長野主膳は、本居宣長の『詞の玉緒(ことばのたまのお)』の体系を継ぐ文法書『玉の緒末分櫛(たまのおすえわけぐし)』を書きました。その跋文(ばつぶん)を書いたのは飯高(松阪市飯高町)の堀内広城で製茶・酒造業を営む主膳の義理の兄でした。

松阪中町に生まれた禅僧悟心(ごしん)は、漢詩や篆刻に優れました。この印章は、長谷川家8代元貞の所蔵です。

8代将軍徳川吉宗に見いだされた植村政勝は、本草学者で日本各地の名所や特産物を紹介しています。その他、大淀三千風・松浦武四郎・奥田三角・野呂元丈・丹羽正伯・佐佐木弘綱・小津久足などたくさんの松阪の文人の関係のものを展示しています。
 
 
 
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