松阪市、紙ぱびえの松本紙店、松阪観光協会、松阪歴史文化舎で実行委員会を持ちました。
今回は、「松阪の魅力を芸術で再発見して楽しむ」「現在の日本美術をリードする展示を行う」「歴史的文化遺産の再認識」「観光サービスのアップデート」「市民の文化芸術意識の向上」「魅力ある街づくり」の目的を確認し役員を決めました。
松阪市、紙ぱびえの松本紙店、松阪観光協会、松阪歴史文化舎で実行委員会を持ちました。
今回は、「松阪の魅力を芸術で再発見して楽しむ」「現在の日本美術をリードする展示を行う」「歴史的文化遺産の再認識」「観光サービスのアップデート」「市民の文化芸術意識の向上」「魅力ある街づくり」の目的を確認し役員を決めました。
蔵の側の槙の木には、ひっかいた跡があります。以前、旧小津清左衛門家では写真を撮ることができました。
市役所に相談したところ捕獲用の仕掛けを用意してもらいました。アライグマは、見かけによらず危険だそうですので、くれぐれも用心をお願いします。
前面の部分のみですが、新らしくてよく光っています。
以前の表示名を考えながら、新しいものを眺めて頂ければ幸いです。
入り口のケースの上にあります。
豪商のまち松阪 観光交流センターヘ9時に到着。8時に学校を出て、なんと1時間をかけて約9㎞を走破したのです。広い、田んぼのあるところや松阪で一番広い櫛田川を横切り、冷たい朝の風もものともせず軽快にペダルをこいで子どもたちは溌剌と松阪の歴史と文化のビデオ視聴の後、寄ってくれました。
普段 使い慣れているタブレットを巧みに操り、旧長谷川家の庭の景色を撮影していきました。コロナ禍に配慮して小人数のグループ活動です。
子どもたちが千両箱を持ち上げる姿をさりげなく撮影する担任の後ろ姿も卒業を迎える子どもたちへの思いやりに感じました。
古い歴史よりも関心をもってくれたのは、庭園の池の中の水生生物でした。水槽で生まれたザリガニの赤ちゃんをめざとく見つけた子どもに友だちも寄っていきました。
自転車を交流センターの横に置いて、三井高利の生まれたところや本居宣長記念館、御城番屋敷を見学したようです。お昼を鈴の森公園で食べるとのことでした。この学年は、2年間コロナ禍で学校行事が随分制約されました。そこで最後の卒業行事をぜひ実現したいと随分考えてこのような行事を設定したのだと思います。安全を考慮して子どもと一緒に自転車で伴走した担任の先生、校長先生に拍手を送りたい気持ちになりました。大変な距離を自転車で来られたことに敬意を表します。この距離をまた、子どもといっしょに帰りも走って頂く事に頭のさがる思いです。子どもたちには、最高の思い出になったことでしょう。
その時の資料も少し載(の)せます。
パワーポイントを使い、本居宣長が11歳から72歳まで住んだ魚町1丁目とその周辺、向かい側の旧長谷川治郎兵衛家についてもふれました。
四季折々の様子も見てもらいました。
社会科副読本『郷土の偉人を知る1 本居宣長』の第2章「本居宣長物語」をいっしょに朗読(ろうどく)したり、説明をしたりしました。
2章で、心にとめてもらいたいことを確認(かくにん)しました。
授業を始める前に知っていることを書きとめて、学習後の違いを自分自身で確認できるようにもしました。
松阪市教育委員会は、市内の子どもたち全員と各家庭に回覧をして「本居宣長さんの教え」を伝えています。この授業でも宣長さん自身のことばを押さえたいと思いました。
学習後の質問もたくさん貰い、このクラスの熱心さが伝わりました。
松阪市の子ども全員が学ぶ「郷土の偉人」の副読本が、今後各学校で活用されることを望みます。また、その偉人たちが活躍し歩いたところを見学する前に呼んでいただければいつでも出前授業をさせてもらいます。
水仙(スイセン)の方も盛りになってきました。
水仙が咲き誇る姿も原田旧宅の見所の一つです。
戦後のものから昭和30年代のものまで12組(合計140体)を写真に撮ってもらいました。 平生町「夢休庵」や「みろく院善福寺町屋」、街中の各店舗(目印のある店)で由緒あるお雛様を見ることができます。