とても素敵なお嬢様に来ていただきました。爽やかな風が通り抜ける貴人口での撮影でした。
着物に良く似合う和風の小道具は、旧長谷川家にも良く似合います。
庭園に並べてもらった和風の傘が雰囲気を盛り上げてくれました。
とても素敵なお嬢様に来ていただきました。爽やかな風が通り抜ける貴人口での撮影でした。
着物に良く似合う和風の小道具は、旧長谷川家にも良く似合います。
庭園に並べてもらった和風の傘が雰囲気を盛り上げてくれました。
長谷川家は、当主が本宅の松坂に居ながらにして経営を奉公人に任せながら、人事権はしっかり握っていました。そのため、厳しい店掟(みせおきて)にしたがい商売の仕方を学ばせました。その「掟法帳」や奉公人側から提出した「奉公人請状」など貴重な資料があります。
展示室を少し模様替えをしましたので、広くなった感じがしています。
暖簾分けされた東京支配人のご子孫から寄贈していただいた初めての資料も展示しています。本家の「まるさん」の商標と見比べるという鑑賞の仕方もあります。
旧長谷川治郎兵衛家の室内の撮影を終えて、庭園の一番のお薦めスポットも見ていただきました。
時間は、しっかりと取って戴きました。「パナソニック株式会社の空間ソリューションWEBサイト」にも載せていただけるそうです。発行部数20000部の国内向けの配布とともに多くの方に見て戴けることを楽しみにしています。
地元の人から「丹生のお大師さん」と慕われる神宮寺を案内してもらいました。宝亀5年(774)開山のお寺です。弘仁4年(813)に弘法大師が来られています。
大師堂の「弘法大師像」は42歳の時、境内の池に姿を写され自ら刻まれたということです。
殊法の実家であった永井家旧跡碑を見学し、西村彦左衞門生家や三井家も整備にかかわった永井家の墓も案内してもらいました。
東大寺の大仏の金箔を貼るのに使われた水銀が採れる鉱石を見せていただきました。辰砂(シンシャ)といいます。丹生は古くから水銀の産地として知られ奈良時代から江戸中期まで採掘が盛んな所でした。「丹生1000軒」と言われ、賑わいを見せた地域でもありました。
三重大学の学生さんは、「松阪カルチャーストリート」の映像配信の下見に来て貰いました。丁度、プロの仕事を見て貰う良い機会になりました。それを踏まえた質の高い作品ができることを期待したいですね。
旧小津清左衛門家に展示してある松阪もめんも取材してもらいました。その仕事ぶりを大学生に見て貰いました。
折角の機会ですので質問をする時間を取ってもらいました。カメラのことや現場に来た時の努力や工夫を教えてもらっていました。実際に撮影機材の重さなど貴重な体験をさせてもらっていました。今日の2時間ほどのケーブルTVさんの映像が、30秒ほどの作品になります。これも完成が待ち遠しいですね。
今日は、3人で行いました。3~4羽、多くて7羽が飛んできます。しかし、かってのようには、飛んで来ません。6時45分になると全く来ませんでした。
午後7時のお城の石垣の上の木の様子です。見える範囲で100羽ほど止まっていました。
旧長谷川治郎兵衛家の庭園の木に来ていたサギは分散してお城の木にねぐらを替えたようすです。
この鮮やかな緑に染まった白い木綿の布が、一瞬に色が変わります。空気に触れて藍色になります。これを重ねると濃くなるそうです。
みなさんで一つのことに向かって取り組みことの素晴らしさを感じました。一体観や仲間がいることの楽しさ、やり遂げる満足感など得がたい物です。
このような素晴らしい作品が出来上がりました。
拍子木の甲高い音が効果的なのでしょうか。そんなことを話し合いながら1時間近く庭園の池の周りに待機していました。相変わらず、蚊(か)との格闘です。蚊除けスプレーは効果がありました。
今回は、6時40分ごろにきた約120羽の大群が最後の大きな群れでした。(数がわかるのは、写真に撮ると数を確認できます。)
夜の会議が終わり、20時50分ごろの様子です。数羽が来ていました。流石に拍子木は使えなかったのですが、拍手で逃げてくれました。前日は、21時にはいなくて22時ごろ、何羽かが居ましたと連絡を受けました。効果は表れているようです。後、しばらく順番に残って、続けます。水曜日は、休館日でしたので豪商のまち松阪 観光交流センターのみなさんにお世話になります。