明治時代の瓦礫や茶碗のかけらも出てきた中で、令和5年には、水を流す溝が出てきて番所のあとも確認できたとのことでした。沢山の写真や具体的な地図で大変よくわかる発表でした。
場所によっては松坂城の往時の姿を垣間見ることが可能な遺構が残っていることや、城内各所で出土する瓦の殆どが伏見城(京都)の瓦とよくにた特長を持つ「同笵(はん)」の瓦が広範囲で確認されるということに大変興味を持ちました。
(「松阪歴史文化舎」のホームページは、こちらです。) https://matsusaka-rekibun.com/
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