お宿では、神事があり魚町1丁目から4丁目の代表の方と地域の方のお参りと素戔嗚尊(すさのおのみこと)に疫病退散を願うものでした。
御厨(みくりや)神社の神輿も人が担ぐ渡御(とぎょ)はなく、車に乗せて旧長谷川治郎兵衛家の前を通りました。
旧小津清左衛門家の前も神主さんと一部の氏子のみなさまとで代表して車の渡御がありました。朝からのゲリラ豪雨もすっかりやんでやや涼しい静かなお祭りとなりました。
お宿では、神事があり魚町1丁目から4丁目の代表の方と地域の方のお参りと素戔嗚尊(すさのおのみこと)に疫病退散を願うものでした。
御厨(みくりや)神社の神輿も人が担ぐ渡御(とぎょ)はなく、車に乗せて旧長谷川治郎兵衛家の前を通りました。
旧小津清左衛門家の前も神主さんと一部の氏子のみなさまとで代表して車の渡御がありました。朝からのゲリラ豪雨もすっかりやんでやや涼しい静かなお祭りとなりました。
旧小津家では、「江戸のツーリズム」の企画展示が始まったばかり、引回合羽(ひきまわしかっぱ)や道中用薬入には、珍しい折りたたみ式の薬入れを展示しています。「伊勢参り」「伊勢名所図会」「東海道中膝栗毛」「道中記」など地域のことがわかる物や現物をたくさん見ることができます。
県の博物館にもこの折りたたみ式の携帯薬入れがあるとのこと、「紫金錠」(解毒剤)「黒丸子」(胃腸薬)「万金丹」(胃腸薬」「奇応丸」(気付け薬) 「安神散」(婦人薬)の当時名の知れた薬が折りたたみの袋に入っています。今回の展示や旧長谷川治郎兵衛家の資料が、今後のプロジェクトに活用できれば幸いです。
夕方のニュースの中で紹介してもらいます。江戸時代の旅装束や道中携帯品、高札、看板、旅案内、紀行文などを並べました。
沢山の映像を撮ってもらいました。
「宿札」は、当時のものですが、現在まで代々続くお店があります。
江戸時代になると宿場や街道が整備され、庶民による寺社参詣や湯治などが盛んに行われるようになりました。
これは通行手形です。松阪へ向かう旅人が箱根の関所を通るために、紀州藩から出してもらいました。
伊勢神宮への参拝の時、集団の「講」が作られました。現在の松阪垣鼻町にあった「白酒屋」の「講」の看板を並べました。他にも様々な旅に関係するものをご覧いただくことができます。
龍馬記念館の冬の企画に使用する資料の確認にみえました。
今展示している「風流家 長谷川元貞」も見ていただきました。
梅雨の晴れ間、少し気温は高かったのですが緑の多い庭園の池をしばし見ていただき涼しい気分になっていただきました。市長にお会いする時間までに少しあったので、豪商のまち松阪観光交流センターにも寄って戴きました。
江戸大伝馬町1丁目の木綿商丹波屋の8代目当主でした。紀州藩から大年寄(町役人の筆頭)や御為替組御用を受けながら文雅を好んだ人です。
本居春庭に歌を学んだり、お茶を裏千家家元10代認得斎と11代玄々斎に学んだりしました。頼山陽とも交友を深めました。曲亭(滝沢)馬琴から元貞は「風流家」と評されました。この取材を通じて旧長谷川治郎兵衛家が広く知られることを望みます。
今回も「松阪手づくり甲冑愛好会」の西岡会長にお世話になりました。
重要文化財の御城番屋敷と後ろに松坂城跡をバックに甲冑姿は、映えます。観光客の人も振り返りました。スマホで写真を撮る人もいました。
100名城の一つの松坂城跡に来ると、この格好は一入(ひとしお)石垣に相応しいです。
伊賀市から来られた写真撮影のみなさんからポーズのリクエストが出るぐらい絵になりました。
天守閣の石垣をバックに最高のポーズをとってもらいました。
天守台の上では、もう気分はお殿様。
帰りにも先ほどの伊賀市の方が合流されていて、たくさんの写真を撮ってもらいました。
最後は、伊勢参宮街道沿いの築108年の米蔵の今年オープンしたcafea&store「pieceピース」の前で記念写真。冷たいお水をいただきました。時間を忘れて1時間と少し、あっという間の楽しい一時(ひととき)でした。