旧長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に出て成功を収めた松阪商人屈指の豪商です。江戸の大伝馬町に5軒の店を構えた木綿商でした。
長谷川家の経営方法は、当主は松阪に居住しながら店々の人事権を掌握し江戸店経営は一切を支配人に任せていました。今回、長谷川家に残る近世から近代にかけての商業道具や商業資料を通して江戸の店の経営や商業活動を紹介しています。
とても寒い日でしたが、風がなかったのが幸いでした。たくさん映像はとってもらいましたが、さて実際の放映はどうでしょう。楽しみです。
旧長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に出て成功を収めた松阪商人屈指の豪商です。江戸の大伝馬町に5軒の店を構えた木綿商でした。
長谷川家の経営方法は、当主は松阪に居住しながら店々の人事権を掌握し江戸店経営は一切を支配人に任せていました。今回、長谷川家に残る近世から近代にかけての商業道具や商業資料を通して江戸の店の経営や商業活動を紹介しています。
とても寒い日でしたが、風がなかったのが幸いでした。たくさん映像はとってもらいましたが、さて実際の放映はどうでしょう。楽しみです。
これを撮った朝は降ってはいなかったのですが、昼から少し降り始め、夕方は、しっかり雨になりました。雨は3日目になりました。
旧長谷川家の池には、水が良く似合います。嬉しくなり、少し多めのアップです。
よく見ると池に茶花の侘助椿(ワビスケツバキ)が浮かんでいます。昨年もふれましたが、その中の「太郎冠者(タロウカジャ)」という品種で、別名「有楽椿(ウラクツバキ)」とも呼ばれています。
また、風情を醸し出しています。もみじの葉っぱも浮いていました。近くでみるとこのような様子でした。
今日は、車に乗って親子で松阪に到着。蒲生氏郷顕彰会のみなさんに会ってもらいました。
一番感動をもって見て貰ったのが、氏郷自筆の茶日記です。ここに書かれた「双月」は氏郷愛用の茶壺のことです。織田信長が持っていた銘「三日月」と並ぶところから命名されたものです。当時宇治茶の最高級品「極上」を注文した文書です。天正15年(1587)豊臣秀吉の島津征伐に功績のあった武将たちに「羽柴姓」が与えられました。氏郷もその一人で「羽柴飛騨守」「羽柴忠三郎」を名乗ったので、花押の上に書かれた「羽忠」は、氏郷を表します。なお、「忠」の字は、信長の官職名「弾正忠(だんじょうのちゅう)」から一字を与えられたものでした。
旧長谷川家の中には、氏郷が作った遺構「背割り排水」があるのでそれを見た後、旧小津清左衛門家で今展示している武将番付けである「武勇名鑑」の氏郷のランクを見て貰いました。
三井高利の発祥地を見学したあと三越のシンボルのライオンにも再開してもらいました。思い出深い松阪の旅になったようです。
市役所から3名の方に来ていただきました。
向かい座敷の縁側で庭をみながらの収録もありました。1週間後、行政チャンネルで放送されます。放送日は、2月2日から3日までです。見逃した方は、ユーチューブでも見ることが出来ます。
アイウェーブの取材の時は、別の所をしてもらいながら庭がだんだん美しくなっていきました。