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2021年8月19日木曜日

8月18日 原田二郎旧宅の新しい展示「紀州藩と松坂」が始まりました。
徳川家康の十男の徳川頼宣が和歌山に移封され松坂と田丸、白子の伊勢18万石を含む紀州藩55万5千石が誕生しました。その藩主が宿舎として使った「二の丸御殿」(後世「徳川陣屋」と呼ばれました)の瓦です。

「松坂町絵図(複製)」東京の三井文庫所蔵のものです。三井・長谷川・小津・長井の4家が記され、紀州藩の財政が豪商の経済力に大きく依存していた時代背景が反映されています。

松坂御為替組として所持することが許された道具の一つです。黒漆塗りの地箱に紀州藩徳川家の三つ葉葵が朱漆で施されています。

「三領役人衆姓名録」松坂城代は、松坂城の守護と伊勢国の三領(松坂・白子・田丸)の諸役所の統括をしました。紀州藩の中でも年寄・城代・大番頭に次ぐ要職で、配下に与力2人と同心20人がいました。
   
 
 
 
 
 

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